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横浜地方裁判所川崎支部 平成元年(ワ)565号 判決

原告(反訴被告)

医療法人社団第二国道病院

右代表者理事長

武田躬行

右訴訟代理人弁護士

和田敏夫

被告(反訴原告)

石川由美子(旧姓 平川由美子)

右訴訟代理人弁護士

須藤正樹

主文

一  原告(反訴被告)の請求を棄却する。

二  反訴被告(原告)は反訴原告(被告)に対し、金一六万九三六〇円及び内金一万六二〇〇円に対する平成二年一二月一日から、内金一五万三一六〇円に対する平成三年六月七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  反訴原告(被告)のその余の反訴請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じて二分し、その一を原告(反訴被告)の、その余を被告(反訴原告)のそれぞれ負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮りに執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  本訴につき

被告(反訴原告=以下「被告」という。)は原告(反訴被告=以下「原告」という。)に対し、金一五七万五八〇〇円及びこれに対する平成元年一二月二八日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴につき

原告は被告に対し、金一九一万四三二八円及び内金二五万四〇〇〇円に対する平成二年一二月一日から、内金一六六万〇三二八円に対する平成三年六月七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、本訴において病院を営む原告が被告に対し、看護婦見習として雇用した被告が准看護婦学校卒業後に原告の病院に勤務しなかったことを理由に被告のために准看護婦学校の入学のために支払った奨学金などの返還を求め、反訴において被告が原告に対し、右雇用期間中の超過労働の賃金等を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、整形外科、外科、内科の病院を営む医療法人社団であるところ、昭和六二年四月、同年三月高等学校卒業の被告を看護婦見習として、左記条件で雇用した。

(一) 午前中三時間は看護婦見習として、原告の病院の勤務に従事する。

(二) 午後は准看護婦学校に通学する。

(三) 帰校後、一時間、原告の病院に看護婦見習として勤務に従事する。

2  被告は、川崎市医師会附属准看護婦学校の入学受験に合格し、昭和六二年四月、同校に入学し、平成元年三月、同校を修了して准看護婦の資格を取得し、その間、原告の病院に見習看護婦として、勤務していたものであるが、原告は、被告のため、准看護婦学校の受験料金三万一〇〇〇円(但し、三校分)、右准看護婦学校への入学に際して納入すべき一時金一三万円、制服代金三万一〇〇〇円及び布団代金四万八八〇〇円を支払い、かつ昭和六二年四月一日から平成元年三月三一日までの二年間、一か月につき、給与として一年目は金五万円、二年目は金六万円、奨学手当として金六万円を支払った。

3  他方、原告は被告に対し、昭和六二年六月一日から平成元年三月三一日まで二二か月間、一か月金三〇〇〇円を返済金名目で、昭和六二年四月一日から平成元年三月三一日まで二四か月間、一か月金七〇〇〇円を後援会費名目で、平成元年一月一日から同年三月三一日まで三か月間、一か月金二万円を預け金名目で、昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日まで一二か月間、一か月金三〇〇〇円を旅行積立金名目で支払っていた。

4  ところが、被告は、右准看護婦学校修了後、原告の病院に勤務せず、他の病院に勤務するに至った。

二  当事者双方の主張及び争点

1  本訴について

(一) 原告は、前記一2の給与を除く金員及び前記一3の学費に準じる後援会費は被告のための立替金等で被告に返還義務のある金員であり、被告との雇用契約の際、被告が、准看護婦学校修了後、原告の病院に准看護婦として、二か年以上勤務したときに限り、原告は、右立替金及び奨学金の右返還義務を免除し、それ以外の場合は、被告は直ちに、これらの返還をする旨の合意が存在していたと主張し、右返還すべき金員から前記一3の後援会費を除く金員を控除した金員の返還を請求した。

(二) 被告は、原告の請求する立替金等については、奨学手当は賃金の一部であり、後援会費を除く金員はいずれも原告が被告に対し便宜供与として贈与されたもので返還義務はなく、後援会費は被告に返還すべきものであると主張し、原告主張の合意の存在を否認し、抗弁として、原告が被告に対し支払うべき宿直勤務手当金四一万二一六〇円から支払われた宿直手当を除く残金と相殺する旨の意思表示を主張した。

2  反訴について

(一) 被告は原告に対する預り金返還債権金二五万四〇〇〇円の他、右宿直手当の他、超過勤務手当及び日直勤務手当合計金一六六万〇三二八円の請求をなし、原告の消滅時効の援用を争った。

(二) 原告は被告の請求をいずれも争い、労働債権については消滅時効を援用した。

3  そこで本件の争点は

(一) 奨学金手当は賃金の一部であるか、その余の原告が返還義務を主張する金員は原告の立替金かあるいは贈与した金員か、後援会費は学費に準じるものか。

(二) 原告主張の合意の存在の有無

(三) 被告の賃金額、超過勤務、宿日直について未払賃金の有無

(四) 原告の消滅時効の援用が権利の濫用となるか、原告は時効の利益を放棄したか。

第三当裁判所の判断

一  争点(一)、(二)について

1  右争いのない事実に証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、

(一) 被告は、昭和六一年一二月、被告が通学している沖縄県立名護商業高校の教師の紹介で、原告を知り、高卒用求人票(〈証拠略〉)を見て、原告が経営する病院に勤務する意思を固め、右高校を通じて、成績表及び履歴書を提出して採用の申込みをなし、原告との間で、昭和六二年三月の右高校卒業後、同年四月から原告の病院に看護婦見習として勤務する雇用契約を結んだ。

(二) 右雇用契約締結の際には、原告からは被告のもとに赴いて雇用条件を説明することはなく、右求人票だけがその内容であり、被告が採用の決まった後の昭和六二年二月に准看護婦学校の入学試験受験のために原告の病院に行った際、原告代表者と面談したが、原告代表者の妻からは布団は用意しておく旨の説明があったにすぎず、他の雇用条件の説明はなく、雇用条件については右求人票の記載以外の条件の合意はなく、右求人票によれば、就業時間は通常午前九時から午後五時まで、土曜日は午前一二時までとし、午前中三時間は看護婦見習として勤務し、午後は一時間勤務する他は准看護婦学校に通学すること、休憩時間は昼六〇分、午後三〇分、休日は日曜日・祝日、賃金として基本給金五万円、奨学手当として金四万七〇〇〇円、但し神奈川県又は川崎市から奨学金一万三〇〇〇円の支給を受けられないときは原告が同額を負担する、入学金は原告負担との雇用条件であった。

(三) 被告は、昭和六二年二月、原告の指示に従い、育成会技術専門学校及び川崎市医師会附属准看護婦学校の二校を受験し、後者に合格し、入学することとなったが、原告は被告のために他に京浜学園の受験も申込み、三校に合計金三万一〇〇〇円を支払ったもので、更に原告は、被告が同年四月に川崎市医師会附属准看護婦学校に入学する際に、入学金二万円、施設資金二万円、教科書、体育着、実習ユニホーム代金四万五〇〇〇円、当初の三か月分の学費(授業料、実習教材費、設備費、積立金)金四万五〇〇〇円及び同三か月分の後援会費金二万一〇〇〇円の合計金一五万一〇〇〇円を右准看護婦学校に支払った他、制服代金三万一〇〇〇円も支払って被告の制服を整え、布団代金四万八八〇〇円を払って寮生活をする被告の寝具を用意し、被告は同年三月に原告の寮に入り生活を始め、同年四月から、原告の病院で看護婦見習として働くと共に、右准看護婦学校に通学するようになった(被告は右後援会費三か月分の入学時の支払を否認しているが、〈証拠略〉、原告代表者の供述によって支払の事実を認めることができる。)。

(四) 原告は被告に対し、昭和六二年四月一日から平成元年三月三一日までの間、一か月につき基本給として金五万円、但し昭和六三年四月一日からは金六万円、奨学手当として金四万七〇〇〇円、被告が神奈川県又は川崎市から奨学金を受けられなかったために、その他の支給額又は奨学手当として金一万三〇〇〇円、その他、宿、日直又は残業を行った場合にはそれぞれの手当を合計したものを支給額とし、これから立替金返済金名目で金三〇〇〇円(但し昭和六二年六月以降)、後援会費金七〇〇〇円、授業料、実習教材費、設備費、積立金合計金一万三〇〇〇円、旅行積立金三〇〇〇円、その他社会保険料、所得税、食費を控除した残額を支給し、後援会費及び授業料等合計金二万円は原告が預り、三か月毎に被告に返還し、被告が右准看護婦学校に支払っていた。

(五) 被告は、平成元年三月三一日、右学校を卒業し、准看護婦の資格を得ると同時に、原告を退職した。

2  右認定事実に基づいて原告が被告に支払った金員について検討するに、

(一) 奨学手当金四万七〇〇〇円について原告代表者は貸付金である旨供述しているが、唯一の雇用条件を明らかにしている求人票には賃金の一部として記載されていること、原告は被告に対しこの点に関しなんらの説明もしていないこと、基本給が金五万円で、当時の高校卒業者の給料として著しく低額であること、更には原告は被告に対し雇用契約の内容として准看護婦学校に通学させる義務を負っていたことからすると、労働の対価である賃金の一部と認定することが相当であり、原告代表者の供述は信用することができない。

(二) 奨学手当金一万三〇〇〇円について、原告は貸付金、被告は賃金の一部と主張しているが、賃金の一部とすると神奈川県又は川崎市から奨学金を受給している者と賃金に差異が生じ、合理性がないこと、求人票でも賃金欄の記載ではなく、補足事項欄に記載されていることからすると賃金の一部と判断することは相当ではなく、(証拠略)では税務上賃金の一部として処理されているが、このことだけをもって賃金の一部と認定することはできず、ただ原告が被告のためになした立替金であると認められるにしても求人票の記載から神奈川県又は川崎市の奨学金と同様に原告が負担する旨認められ、原告から何の説明もなかったことから被告には返還義務を負わないものと認定することが相当である。

(三) 受験料、入学金、施設資金、教科書、体育着、実習ユニホーム代金については、求人票において入学金は原告が負担する旨記載されていること、准看護婦学校受験の具体的内容の説明が事前になされていなかったこと、受験料以外の金員は入学と同時に支払い川崎市医師会附属准看護婦学校の募集要項(〈証拠略〉)では入学時諸経費と記載されており、入学金以外の金員も入学金と同趣旨の金員と認められ、右各金員は右(二)と同様に被告に返還義務のない立替金であると認めることが相当である。

(四) 当初の三か月間の授業料、実習教材費、設備費、積立金及び後援会費合計金六万六〇〇〇円について、被告は原告から入学金の一部の説明があった旨と主張しているが、被告本人も右金員に関して何の説明もなされなかった旨供述し、入学時に納付されたとしても、その後の通学期間も継続して被告が負担すべき義務を負い、実際支払っていたもので、入学金と同趣旨の金員とは認められず、授業料以外の金員も准看護婦学校に支払うべきもので授業料に準じるものと認められ、右立替金に関しては返還義務を免除する事実は認められない。

(五) 制服代金及び布団代金については被告は贈与と主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、原告の立替金と認めることが相当で、返還義務を免除する事実は認められない。

(六) 後援会費については、右(四)で述べたとおり、授業料に準じるもので、原告は被告に返還する金員ではない(なお被告は右後援会費の他に平成元年一月ないし三月の被告の預け金の返還義務を主張するが、右期間の預け金の中には後援会費も含まれており、二重の返還義務を主張するもので、この点の主張は主張自体失当である。)。

(七) 二二か月分の一か月金三〇〇〇円の返済金、平成元年一月ないし三月の預け金六万円、旅行積立金三万六〇〇〇円については、弁論の全趣旨によれば原告が被告に返還義務があるものと認められる。

3  次に、返還義務の免除に関する原告主張の合意について検討するに、原告代表者の供述中には原告代表者の妻が被告と面接した際に被告に説明している旨供述しているが、被告は原告の病院内で噂として話を聞いたにすぎず、原告代表者の供述に反する供述をしているうえ、求人票には全く記載がなく、他に証拠がない以上、原告の主張を認めることができず、なお(証拠・人証略)によれば原告の病院に、被告と同様に看護婦見習として勤務し、准看護婦学校卒業後二年以内に退職した訴外村吉峰子が奨学手当を含む入学金等を一〇回の分割で返済したことが認められるが、他方村吉峰子も原告代表者の妻から退職する際返済を請求されたもので、それ以前には何らの説明がなかったことが認められ、右返済が原告主張の合意を認める事実とはいえず、また原告は、信義則上、返還義務の免除は認められないと主張するが、この点に関する具体的な主張、立証がなく、右主張は採用することができない。

4  以上によれば、原告が被告に対し返還を求め得る金員は、川崎市医師会附属准看護婦学校入学の際に納入した当初三か月分の授業料、実習教材費、設備費、積立金、後援会費合計金六万六〇〇〇円、制服代金、布団代金合計金七万九八〇〇円の総計金一四万五八〇〇円であり、他方原告が被告に返還すべき金員は返済金名目の金合計金六万六〇〇〇円、平成元年一月ないし三月の預け金六万円、旅行積立金三万六〇〇〇円の総計金一六万二〇〇〇円であり、したがって原告が被告に返還すべき金員は金一万六二〇〇円である。

二  争点(三)、(四)について

1  宿直手当についての金四一万二一六〇円については、被告は平成二年七月二〇日の本件口頭弁論期日において、右債権に基づいて相殺の主張をなし、裁判上で権利の主張をなしたことから、原告の消滅時効の主張の起算日である平成元年三月三〇日から二年間の消滅時効期間内に裁判上の請求をなしたと認められ、右宿直手当についての消滅時効の主張は認められないものと判断できるが、被告が反訴においてなした、右宿直手当以外の労働債権の請求は、平成三年六月六日、訴変更申立書によってなされ、同日、原告訴訟代理人に送達されたことが、本件記録上明らかであり、原告の消滅時効の援用は理由があると認められる。

2  被告は原告が消滅時効の利益の放棄をなしたと主張し、その根拠として、原告が、平成二年八月二五日、被告所属の労働組合に対し労働基準監督署の勧告又は指示に従う旨述べたことを主張し、右述べたことは原告も認めるところ、右事実をもって消滅時効の利益を放棄したとは認められない。

3  更に被告は原告の消滅時効の援用が権利の濫用になる旨主張するが確かに被告が原告の病院に勤務していた当時は未成年者であったことは、本件記録上、明らかであるが、本件記録によれば、被告は本件訴提起当時は成年になっており、平成二年二月一五日に弁護士たる原告代理人に事件処理を委任していること、原告代理人は被告の原告の病院における勤務内容を消滅時効完成の平成三年三月まで充分把握していたとみられること、特に平成二年六月二九日付の準備書面では前記宿直手当に基づいて相殺の抗弁を主張していることから考えると、被告及び被告訴訟代理人は消滅時効完成期間内に容易に原告に対し労働債権の請求をなしうるのに、これをなさなかったことが認められ、以上からすると被告の権利濫用の主張は理由がないことが明らかである。

4  そこで、被告の前記宿直手当の主張について検討するに、

(一) 前項1の認定事実及び証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は原告の病院に、昭和六二年四月一日から平成元年三月三一日までの期間、看護婦業務に従事し、通常勤務日は午後五時三〇分まで勤務し、宿直勤務の日は、午後五時三〇分よりそのまま夜勤に入り、翌日午前一〇時まで継続して勤務し、この間の休憩時間は、平均して、一時間三〇分であり、従って宿直勤務は午後一〇時から翌日の午前五時までの時間のうち休憩時間を除く五時間三〇分が賃金五割増の深夜超過労働勤務であり、残りの五時間三〇分は賃金二・五割増の超過労働であり被告は一年目に一六日、二年目に五六日の宿直勤務についている。

(2) 他方、被告の勤務時間は、通常勤務日は午前九時から午後五時まで(但し、土曜は午前一二時まで)、勤務し、休憩時間は合計九〇分であり実働時間は六時間三〇分(土曜は三時間)、休日は、日曜・祝日すべてで、有給休暇は、一年目一四日、二年目二一日であり、一年のうち日曜・祝日合計六三日を休日、土曜日をその残りの六分の一とすれば、一か月当り、土曜日は四・二日、通常勤務日は二〇・九七日となり、若干の超過時間をみて合計は約一五二・五時間と認められ、被告の一年目の給料は一か月九万七〇〇〇円、二年目は一〇万七〇〇〇円であるから、一年目の一時間当りの賃金は約六三六円、二年目のそれは約七〇二円となる。

(3) 従って、宿直勤務の超過労働賃金は一年目は金一五万三九一二円、二年目は金五九万四五九四円であり、合計金七四万八五〇六円となるところ、被告は原告に対し本訴において相殺で主張した金四一万二一六〇円の請求をなしうるが、原告は合計金二五万九〇〇〇円しか支払わず、被告には差額金一五万三一六〇円の請求権がある。

(二) 原告は被告に宿直勤務一日当り金三五〇〇円支払えば正当である旨主張し、原告代表者もその旨の供述をしているが、その根拠も明確でなく、労働基準法施行規則二三条の規制の除外に当る主張、立証がなく、右主張は認めることができない。

三  結論

以上によれば、原告の請求は理由がなく棄却すべきであり、被告の反訴請求のうち、金一六万九三六〇円及び内金一万六二〇〇円に対する平成二年一二月一日から、内金一五万三一六〇円に対する平成三年六月七日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるが、その余は理由がないので棄却する。

(裁判官 小松峻)

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